痴漢事件で有罪から無罪へ─供述の信用性をめぐる判断と弁護の視点
痴漢事件では、「触った」「触っていない」という当事者の言い分が対立し、客観的な証拠が乏しいことが多くあります。
目撃者がいる事案もそう多くはありません。
その結果、裁判では被害者や被告人とされた方の供述の信用性が、有罪・無罪を分ける最大の争点となることが多くなっています。
この記事では、那覇地裁で有罪、しかし控訴審の福岡高裁那覇支部で無罪となった近時の痴漢事件を取り上げ、
「結論が変わったポイント」「裁判所は供述をどう見ているのか」をわかりやすく解説します。
1.痴漢事件の特殊性|供述の信用性がポイント
痴漢事件は、他の犯罪に比べて物的証拠が乏しいことが特徴です。
仮に防犯カメラがあっても、接触の瞬間までは映っていないことが多く、「供述の信用性」が有罪・無罪を分ける決め手になります。
裁判所は、供述を検討する際に、
- 知覚・記憶の条件
- 虚偽供述の動機がないか
- 客観的な証拠との整合性
- 第三者の証言等との整合性
- 供述の一貫性と変遷の有無
- 供述内容の内容(具体性、誇張の有無など)
- 供述態度等(経験した事実とそうでない事実の区別など)
といった観点から事実を認定するとされています。
弁護人にとっても、供述の変遷や心理的背景を丁寧に分析することが不可欠です。
2.地裁と高裁で結論が分かれた事例
(1)事案の概要
被告人とされた方が、店舗の通路で被害者とされた方とすれ違う際に、その臀部を手で触ったとして、迷惑行為防止条例違反で起訴された事件です。
被告人とされた方は、接触を避けようとした際に起きたもので、触れていないか、触れたとしても意図的なものではないと主張しました。
争点は、
- 「接触があったのか」(実行行為の有無)
- 「仮に触れたとして、意図的に触ったのか」(故意の有無)
の2点でした。
(2)那覇地裁(令和5年10月19日)判決|有罪
結論:有罪
・接触の有無について|要約
那覇地裁は、被害者とされた方の「左臀部を下から上に触られた」という供述を信用できると判断しました。
裁判所は、信用性を基礎づける具体的な事実を列挙したわけではないため、特段問題なく信用できることを前提にしたものと考えられますが、弁護人の主張に対応する形で以下のような点を挙げています。
- 「すぐに声を上げなかったのは不自然」との弁護側主張に対し、「羞恥や驚きで即座に反応できないことは十分あり得る」等として退けました。
- 被害直後の行動(上司への報告など)が自然であることも指摘しました。
- 防犯カメラでは接触の瞬間は確認できないものの、その直前の映像からすると被害者の供述内容通りに接触することは十分想定されるとしました。
・意図的に触れたかどうか|要約
意図的に触れたかどうかについては、
・(被害者供述等から認定できる)行為態様から意図的なものと相当推認できる
という前提に立ち、以下の事情等から、当時の被告人とされた方の行動は接触を回避しようとする人物の動きとして不自然であるなどとして、被告人とされた人の供述を排斥しました。
- 接触を避けるため体の前に位置していた左手を体の後ろに回したという供述内容は後ろに回そうとすれば左手が元々の身体の左端よりさらに外側を経由し、かえって接触を招きかねないことから合理性に乏しい
- 事件直前にすれ違った人物との接触回避の際には壁側にあった棚に身を寄せて上半身をひねり当該人物とすれ違うスペースを確保するなどして接触を回避した行動と比較し、そのような様子もなくすれ違い直後の一歩目も被害者の方に大きく踏み出している
・地裁の特徴
- 被害者の方の供述については特段事情を示すことなく肯定し、事件後の対応の自然さも重視
- 「動きの不自然さ」から被告人とされた方の供述を排斥
- 動きの不自然さを示すものとして直前の他の人物との接触回避行動とを比較
した点が挙げられます。
(3)福岡高裁那覇支部(令和6年10月8日)判決|無罪
結論:原判決破棄・無罪
・接触の有無|要約
以下の事情から、少なくとも被告人とされた方の手指が被害者の臀部に接触したことは認めました。
- 被告人の手指の接触を視認していないとしても被害者の供述に信用性を疑う点はないことから、人間の手指と矛盾しない物体が被害者の臀部に接触した事実が認定できる。
- 防犯カメラ画像から、被害者害者の臀部付近にあったのは被告人の左手のみであると認められるから、本件行為の際に臀部に接触した可能性があるのは被告人の手指のみであると認められる。
・意図的に触れたかどうか|要約
ここでは、主に、1審で被告人とされた方の供述の信用性に関する判旨ですが、以下のような判断をしました。
- 左手を体の後ろに回して避けようとした点
- 急に被害者が自身の方に体を動かしてきた状況にあったのであり、そのような状況下におけるとっさの行動としてみた場合には、一番被害者に近い左肘が被害者に当たらないよう左手を下に下ろしながら被害者とすれ違うこともあながち不合理な選択ではないと考えられる。
- 被害者とされた方の方へ踏み出し点
- 本件の状況からして、被告人が(被害者のいる)左側に大きく踏み出したことが、説明がつかないほどに不自然なものであるとは認められない。
- 本件の行動に関する評価|他の合理的な方法の有無とその影響
- 接触回避のより合理的な方法があったとしても、被告人の行動が「およそみることができないものではない」以上、痴漢行為の意図があったとする積極的な推認はできない
- 直前の別の人物との接触回避行動に対する評価|同じ行動をするべきなのか
- 本件行為直前に被告人が他の人物とすれ違った際の動作との比較をする点についても、荷物の有無、身体の向き、当該人物との位置関係等が相当程度異なるのであって、比較する前提を欠いている。
- 防犯カメラの設置を知っていたこと
- 被告人が店内に複数の防犯カメラがあることを知っていたことは、どちらかといえば、意図的に触れていないという被告人供述の信用性を支える事情となる
その上で、その他間接事実の有無の検討した上、
- 本件行為の態様のみから被告人が意図的に被害者の臀部を触ったことを推認することはできない
- その他に被告人の意図的な行為であることを推認させる間接事実があるとは認められない
そして、…被告人の意図的な行為であると認めることもできないとして、原判決を破棄し、無罪判決を言い渡しました。
・高裁の特徴
- 被害者とされた方の供述から認定できる事実を視認状況を踏まえた範囲に限定
- 被告人とされた方の供述の信用性は排斥できないと指摘
した点が挙げられます。
3.結論が変わったポイント
(1) 第1審
那覇地裁は、被害者供述を広く信用し、そこから故意の存在まで導きました。
その上で、被告人とされた方の供述の信用性も否定しました。
(2) 控訴審
一方、高裁は、被害者供述の信用性を維持しながらも、被告人とされた方の供述をあながち不合理なものではないなどとして、排斥できるものではない等評価しました。
高裁は、「接触した可能性」と「わざと触ったか」を峻別しました。
被告人の行動は、満員の車内や混雑した通路における「異常事態に直面した際の不完全な回避行動」と解釈する余地を重視したともいえるかもしれません。
4.供述の信用性について
(1) 一般的な要素
供述の信用性を評価する際には、以下の要素から判断されると言われています。
- 知覚・記憶の条件
- (明るさ、距離、緊張、飲酒、心理的要因)
- 虚偽供述の動機がないか
- (虚偽供述の利害関係がないか)
- 客観的な証拠との整合性
- (映像・行動経過との矛盾の有無)
- 第三者の証言等との整合性
- (目撃者の供述との一致)
- 供述の一貫性と変遷の有無
- (変遷に合理的な理由があるか)
- 供述内容の内容
- (具体性、誇張の有無など)
- 供述態度等
- (自身に不利な事実も話しているか、経験した事実とそうでない事実の区別など)
(2) 被害者とされた方の供述から認定できる範囲を限定
地裁判決は、被害者とされた方の供述を信用し、そこから手が臀部にそれなりの強さをもって振れたことを認定しました。
他方、高裁判決は、
被害者供述からは、「人間の手指と矛盾しない物体が被害者の臀部に接触した事実」の限度で認定し、
「防犯カメラ画像から、被害者害者の臀部付近にあったのは被告人の左手のみであると認められる」ため、接触を認定しました。
被害者とされた方の供述の信用性を揺るがすことのハードルの高さを示す一方で、
・被害者の体験した事実はどこからどこまでなのかと厳密に認定している
点で、弁護活動上も参考になる判示です。
(3) 被告人とされた人の供述
・供述の信用性に関する評価
また、地裁判決は、高裁判決が指摘するように「いずれも、被害者を避けようとしたのであればより合理的、あるいは手が被害者に触れないような方法があったはずであるということを前提に、被告人の本件行為が不自然」であると評価したように見えます。
しかし、これは結果として触れた事実から遡って行動の評価をしていると指摘を免れないように思います。
触れた当時のとっさの対応として接触を避ける複数の選択肢がある中で、必ず合理的な方法をとることができるとはいえないのではないでしょうか。
当時の状況を丁寧に分析検討し、不合理なものではないと丁寧に指摘するという弁護活動の重要性を認識させられる点です。
・直前の別人物との回避行動との比較
地裁は、直前の別人物との回避行動を取り上げてそのような行動をとっていないことを被告人とされた方の供述の信用性を否定する一事情にしましたが、高裁は「本件行為直前に被告人が他の人物とすれ違った際の動作との比較をする点についても、荷物の有無、身体の向き、当該人物との位置関係等が相当程度異なるのであって、比較する前提を欠いている」としました。
狭い通路ですれ違う人物との接触を避けるための行動は、そもそも複数の選択がありますし、常に同じように避けるとは限りません。
状況によってどう避けるかは千差万別のように思います。
地裁の判決は、具体的状況の検討を欠いており、「人は常に同じ行動をするはずだ」というややステレオタイプな経験則に引っ張られた印象があります。
やはり、当時の状況を丁寧に分析検討し、丁寧に指摘するという弁護活動の重要性を認識させられる点です。
5.まとめ
(1) 本事案が示唆するもの
痴漢事件の弁護では、被害者とされた方の供述の信用性を揺るがすハードルの高さを示すものである一方、
- 被害者とされた方の供述で認定できる事実はどこまでなのか
- 被告人とされた方の行動は、結果からではなく「当時の状況からして不合理と言えるのか」
を厳密に検討する重要性を示唆するものと言えます。
地裁と高裁で結論が分かれたこの事案は、供述の信用性がいかに繊細で、また重要なテーマであるかを改めて示しています。
(2) 捜査段階などでの対応の重要性
また、裁判所が被告人とされた方の供述を排斥しない大前提として、具体的で一貫していてぶれないものであることも必要なように思います。
供述の信用性は、取調べ段階の受け答えや、供述調書の内容によって大きく左右されます。
- 身に覚えのない痴漢の容疑で警察の取調べを受けている方は、対応を相談する必要があります。
- 身に覚えのない行為で起訴された方は、ご自身が体験された事実をよく整理する必要があります。
事実関係をどこまで緻密に詰めるか、その事実関係にどのような意味を持たせ、裁判所や捜査機関を説得できるかは、弁護士によって違いが出てくる点です。
早い段階で弁護士に相談することが、結果を大きく変えることがあります。
ご相談は初回無料です。お気軽にお問い合わせください。
6.他の記事等
痴漢事件の身体拘束については、以下の記事があります。