改正刑事訴訟法「個人特定事項の秘匿制度」とは|手続の概要を解説
2023年(令和5年)に刑事訴訟法が改正され、犯罪被害者等の個人特定事項を保護するための新たな制度(秘匿措置制度)が導入されました。
これは、犯罪被害者に遭った方々が、不安なく、安心して捜査や公判に協力できるようにするために設けられた制度とされています。
他方、この制度は同時に、被疑者・被告人とされた人の側から見ると、防御権に関わる重大な問題を内包しています。
本記事では、立法経緯、制度趣旨、そして逮捕・勾留等の手続の流れを中心に、制度全体の基礎を整理します。
※ 本記事では一般的な見解をご紹介するもので、そのすべてに賛同するものではありません。
※公開日時点の情報を基にしています。
1 立法経緯と制度趣旨
(1) 立法経緯 被害者への再被害防止と協力確保
- 従来の刑事手続においては、逮捕状、勾留状、そして起訴状などの書面には、事件を特定するために犯罪被害者等の氏名、住所、その他の情報(個人特定事項)が原則として記載されてきました。
- この結果、被疑者・被告人がこれらの情報を知り、インターネット等を通じて名誉等を害したり、あるいは報復のために加害行為を行う可能性が指摘されていました。
- 特に性犯罪やストーカー事案などでは、被害者がこれらの不安から被害申告や捜査協力そのものを断念せざるを得ない事態も生じていたとされます。
- このような状況に対応すること等から、被害者の名誉や社会生活の平穏を守り、捜査機関への必要な協力を得るため、被害者特定事項の秘匿措置制度が導入されました。
(2) 制度趣旨 多段階にわたる一貫した情報保護
- 本制度の目的は、逮捕手続から公判手続、さらには付随する損害賠償命令手続に至るまで、一貫して被害者等の氏名等の情報を保護することにあります。
- 保護の対象となる「個人特定事項」とは、「氏名及び住所その他の個人を特定させることとなる事項」をいいます(刑事訴訟法(以下、刑訴法)第201条の2第1項柱書)。
- 解釈に委ねられますが、勤務先の名称や通学先の学校の名称、配偶者の氏名、父母の氏名なども含まれ得ます。
2 手続の流れと条文の引用(各段階における秘匿措置)
秘匿措置は、刑事手続の各段階で「代替書面」や「条件」を設けることで行われます。
(1) 逮捕手続|逮捕状に代わるもの
- 捜査機関は、「必要と認めるとき」に、裁判官に対し、201条の2第1項1号又は第2号に掲げる者のの個人特定事項を明らかにしない方法により被疑事実の要旨を記載した逮捕状の抄本その他の逮捕状に代わるもの(以下、「逮捕状抄本等」)の交付を請求できます(刑訴法第201条の2第1項)。
- 裁判官はこれを交付し、捜査機関は被疑者に対し「逮捕状抄本等」を示して逮捕を執行します(刑訴法第201条の2第3項)。
- 逮捕状に代わるものを交付する裁判に対しては、不服申立てはできないと考えられています。
- 逮捕状に被疑事実の要旨の記載が求められるのは、憲法33条の要請に基づくものであり、被疑者とされた人の防御権の観点から、他の犯罪事実と識別できる程度には特定されていなければならないと考えられています。
(2) 勾留手続|勾留状に代わるものと弁護人への条件付交付
ア 検察官による請求
- 勾留手続においても、検察官は「必要と認めるとき」に、201条の2第1項1号又は第2号に掲げる者の個人特定事項に関し、裁判官に対し秘匿措置を請求できます(刑訴法第207条の2第1項)。
- 詳細は割愛しますが、鑑定留置手続に関する規定もあります(刑訴法224条3項、同224条の2)。
- 被告人の勾留・勾引についても同種の規定があります(刑訴法271条の8)。
イ 被疑者とされた人への告知等
- 勾留質問時の告知
- 裁判官は、個人特定事項を明らかにしない方法により被疑事件を被疑者に告げます(刑訴法第207条の2第1項)。
- 勾留状の発付
- 被疑者に示すものとして、被害者特定事項の記載がない「勾留状に代わるもの」が交付されます(刑訴法第207条の2第2項)。
ウ 弁護人への交付と守秘義務の条件
- 弁護人は、勾留状の謄本を裁判所に請求できます(刑事訴訟規則(以下、刑訴規則)第150条の5第1項)。
- 以下は大まかな概要です。
- 裁判官は、請求があったことを検察官に通知し、検察官からの通知を受け
- 弁護人に秘匿措置のない通常の勾留状謄本を交付する場合、「勾留状抄本等に記載がないものを被疑者に知らせてはならない」という条件が付されます(刑訴規則第150条の5第5項)。
- 検察官が弁護人に対しても秘匿すべき旨を通知した場合は、「勾留状に代わるもの」の謄本のみが交付されることがあります(刑訴規則第150条の5第6項)。
- 裁判官は、請求があったことを検察官に通知し、検察官からの通知を受け
エ 不服申立などのルール
- 当該措置に関する者が刑訴法201条の2第1項1号又は2号に該当しないことを理由とする不服申立は、刑訴法429条3項により準抗告はできないとされています。
- 刑訴法207条の3による通知の裁判の請求によることとされています。
- 他の犯罪事実との識別ができていないといった点を理由とする不服申し立ては、裁判官による勾留の裁判として準抗告ができるとされています。
- 秘匿措置の請求を却下する裁判については準抗告が可能とされています。
- 「勾留状に代わるもの」の謄本のみの交付等(刑訴規則第150条の5第6項)については、同条但書に該当することを理由に準抗告が可能とされています。
- 勾留状の謄本を弁護人に交付する旨の裁判を求めることもできるとされています(刑訴規則150条の7。)
(3) 公訴の提起手続|起訴状抄本等の送達
- 公訴の提起の際、検察官は裁判所に対し、被告人には通常の起訴状謄本ではなく、被害者特定事項の記載がない「起訴状抄本等」を送達するよう求めることができます(刑訴法第271条の2第1項、第2項)。
- これにより、被告人には対象となった個人特定事項が秘匿された起訴状抄本等が送達されます。
- 裁判所がこの段階で検察官による求めの当否を判断する手続きはありません。
- 遅滞なく被告人に送達し、公判に向けた準備を開始できるようにする趣旨とされています。
- 刑訴法271条の5第1項の請求によることが前提とされています。
- 起訴後の訴因変更においても同様の措置が取られます(刑訴法第312条の2第2項、刑訴法第271条の2の準用)。
- 裁判所がこの段階で検察官による求めの当否を判断する手続きはありません。
- 弁護人への条件付き送達
- 原則として、弁護人に対しては秘匿措置がない起訴状の謄本が送達されます(刑訴法第271条の3第1項)。
- ただし、この送達にも、「起訴状に記載された個人特定事項のうち起訴状抄本等に記載がないものを被告人に知らせてはならない」という条件が付されます(刑訴法第271条の3第2項)。
- 検察官の判断によっては、起訴状抄本等の送達となる場合があります(刑訴法第271条の3第3項・第4項)。
- 対抗するためには、刑訴法271条の5第2項の請求をする必要があります。
- 原則として、弁護人に対しては秘匿措置がない起訴状の謄本が送達されます(刑訴法第271条の3第1項)。
- 即時抗告
- 刑訴法271条の4の各措置については、刑訴法271条の5の各規定に基づき、通知の請求をすることができます。
- この請求に基づく裁判については即時抗告することができます(刑訴法271条第5項)。
- 刑訴法271条の4の各措置については、刑訴法271条の5の各規定に基づき、通知の請求をすることができます。
(4) 刑訴法40条・46条・49条に基づく訴訟に関する書類の閲覧謄写等について
- 起訴状について個人特定事項の秘匿措置がとられた場合の、訴訟書類等の閲覧謄写等について、刑訴法271条の6に定められています。
- 刑訴法40条(弁護人による訴訟書類等の閲覧及び謄写)・46条(裁判書・裁判を記載した調書の謄本等の交付請求)・49条(弁護人がいない被告人の公判調書の閲覧)に基づく閲覧謄写等の対象となる文書に、秘匿措置の対象になった個人特定事項が含まれている場合に関する規定です。
- 個人特定情報を被告人に知らせてはいけない旨の条件、又は知らせる時期若しくは方法を指定することができるとされています。
- 方法というのは、漢字表記ではなく、読み方のみを知らせることが挙げられています。
- 弁護人に起訴状抄本等の提出があった件については、弁護人に対しても、訴訟に関する書類又は証拠物について閲覧又は謄写が禁止される(刑訴法271条の6第2項)、裁判書等について個人特定事項の記載がない抄本が交付されることがあります(刑訴法271条の6第4項)。
- 方法というのは、漢字表記ではなく、読み方のみを知らせることが挙げられています。
- いずれも「被告人の防御に実質的な不利益を生ずるおそれがあるとき」は除外されます。
- この措置に対して不服申立てはできないとされています。
- 先行する秘匿措置について、通知請求をし(刑訴法271条の5)、その判断について即時抗告をすることが考えられます(刑訴法271条の5Ⅴ)。
- 証拠開示等に際し秘匿措置等が行われた場合(刑訴法299条の4Ⅰ・Ⅲ・Ⅵ、299条の5Ⅲ)の、刑訴法40条・46条・49条に基づく訴訟に関する書類の閲覧謄写等については、刑訴法299条の6に定められています。
(5) 証拠開示手続(公判前整理手続含む)
- 検察官は、開示の対象となる証人の氏名や住所、証拠書類等(公訴提起後の証拠開示、刑訴法第299条第1項)に、秘匿の対象となった個人特定事項が含まれる場合、閲覧の制限等の措置をとることができます(刑訴法第299条の4第1項、同2項)。
- 裁判所は、防御に実質的な不利益が生じない範囲で、秘匿措置を講じます。
- 措置には以下のものが含まれます。
- 告知時期や方法の指定
- 情報を被告人に知らせる時期や方法を指定する。
- 閲覧等の制限・禁止
- 被告人による閲覧謄写を禁止または制限し、弁護人のみとする。
- 代替書面の交付
- 氏名等に代わる呼称や、住居に代わる連絡先を記載した書面を交付する。
- 被告人の防御に実質的不利益が生ずる場合は除かれます
- 告知時期や方法の指定
- 刑訴法299条の5により、裁定請求をすることができます。
- 公判前整理手続においても、同様の秘匿措置が準用されます(刑訴法第316条の11第2項)。
3 損害賠償命令手続や刑事和解における秘匿
刑事裁判の結果(判決・決定)に付随して行われる損害賠償命令手続や刑事和解(犯罪被害者等の権利利益の保護を図るための刑事手続に付随する措置に関する法律に基づく手続)においても、秘匿制度が適用されます。
- 対象書類
- 損害賠償命令の申立て、決定、和解記録などの書類も、刑事裁判の裁判書と同様に、被害者等の個人特定事項の秘匿措置の対象となります。
- 閲覧・謄写の制限
- 訴訟記録(損害賠償命令の記録を含む)の閲覧や謄写についても、秘匿措置が講じられた個人特定事項は、原則として閲覧・謄写が制限され、必要に応じて謄本や抄本が交付される措置がとられます
4 まとめ
個人特定事項の秘匿制度は、被害者保護を目的として刑事手続全体に導入された新たな枠組みです。
逮捕・勾留・公判などの手続各段階で、どのように被疑事実や公訴事実が示され、どの範囲で情報が秘匿されるかを理解することは、弁護活動を行う上で不可欠です。
別記事では、秘匿措置の要件、判断基準、防御権との調整、そして実務対応のポイントについて、さらに深く解説します。
秘匿措置がとられた事件でお困りの際はぜひご相談ください。





