責任能力とは|刑法39条を詳しく解説|判例・学説・実務の考え
刑事事件において、「責任能力」の有無は、重要な論点です。
責任能力が認められなければ無罪となり、能力が著しく減退していれば刑が軽減されます。
本記事では、この難解な法律概念について、定義、学説の議論、判例の立場、そして最新の実務の動向までを解説します。
※ 責任能力については、様々な見解や議論がありますが、本記事では一般的な見解をご紹介するもので、そのすべてに賛同するものではありません。
※ 本記事は公開時の情報を基にしています。
1 責任能力の定義|刑法第39条
(1) 条文
日本の刑法は、心神喪失の有無等によって行為者を処罰できるかどうかを定めています。
刑法 第39条(心神喪失及び心神耗弱)
1 心神喪失者の行為は、罰しない。
2 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。
(2) 判例の事理弁識能力・行動制御能力
刑法39条は心神喪失・心神耗弱の内容意味について明らかにしていませんが、判例は以下のように判示しました。
- 大審院昭6・12・3刑集10巻682頁
- 心神喪失とは、「精神の障害により事物の理非善悪を弁識する能力なく、又はこの弁識に従って行動する能力なき状態を指称し」
- 心神耗弱とは、「精神の障害未だ上述の能力を欠如する程度に達せざるも、その能力著しく減退する状態を指称する」と判断しました。
その後の、刑事裁判実務は基本的にこの枠組みに依っています。
- 「心神喪失」(無罪)とは、精神の障害により、行為の善悪を弁識する能力(事理弁識能力)またはその弁識に従って行動を制御する能力(行動制御能力)がない状態を指します。
- 「心神耗弱」(減軽)とは、心神喪失の程度には達しないものの、上記の能力が著しく減退した状態を指します。
(3) 生物学的要素と心理学的要素
ア 混合的方法
- 責任能力の有無・程度を判断するためには、「精神の障害」という生物学的要素と、「事理弁識能力」と「行動制御能力」という心理学的要素からなると考えられています。
- 生物学的要素と心理学的要素により責任能力を判断する「混合的方法」が、判例・通説で採用されています。
イ 精神上の障害
- 混合的方法によれば、まず「精神上の障害」が認定されなければなりません。
- しかし、その外延は必ずしも明確ではなく、必ずしも精神医学において精神病として診断されていない場合でも、精神状態に異常があり、弁識能力・制御能力に影響を及ぼす場合には「精神上の障害」に含まれると考えられています。
- 法律的病気概念などと言われることもあります。
2 責任能力を巡る学説の議論状況
責任能力の根底には、「責任主義」という刑法の大原則があります。
これは「責任(非難可能性)なければ刑罰なし」という原則であり、行為者を非難できる場合にのみ処罰できるとする考え方です。
(1) 責任の本質に関する諸説
- 責任の本質については、かつて意思の自由を認める「道義的責任論」が通説的見解でした。
- 現在は、道義的責任論を前提としつつ、行為者が適法行為をとる「他行為可能性」があったにもかかわらず犯罪行為に及んだ場合に非難が可能であるとする「規範的責任論」が通説とされています。
- また、犯罪予防の観点から責任の本質を捉える「実質的責任論」や、刑罰の必要性や相当性から責任の限定を検討する「可罰的責任論」も有力に主張されています。
(2) 責任能力の体系上の位置付け
責任能力を刑法理論体系の中でどう位置付けるかについては、「責任要素説」と「責任前提説」が対立しています。
- 責任要素説
- 責任能力は故意・過失と並び、個々の行為に対する責任の要素の一つであるとする見解です。
- 責任前提説
- 責任能力は、個々の行為から独立した、故意・過失を持つ能力であるという一般的・人格的能力であり、故意・過失の判断に先立って判断されるべき責任の前提であるとする見解です(通説的見解とされています)。
- この位置づけの違いは、期待可能性(外部的事情による非難の可否)や違法性の意識の可能性(違法性の認識の可否)との関係をどう見るかにも影響するとされます。
(3) 判断方法を巡る議論
既に述べたとおり、責任能力の判断方法については、精神の障害(生物学的要素)の有無を重視する生物学的方法、是非弁識能力や行動制御能力といった心理的側面(心理学的要素)に注目する心理学的方法、そして両者を総合的に考慮する混合的方法があり、日本では混合的方法が多数説とされています。
3 精神鑑定と責任能力
(1) 精神鑑定の位置づけ
責任能力(心神喪失・心神耗弱)については、精神医学との関連が深くなります。
特に、「精神上の障害」という生物学的要素を認定するには、精神医学の知識と経験が重要になってきます。
他方、心神喪失・心神耗弱は、あくまでも法律判断であり、最終的には裁判所が判断することになります。
(2) 可知論と不可知論
司法精神医学の分野では、可知論と不可知論という考えの対立がありました。
ア 不可知論(ふかちろん)
- 不可知論とは、精神障害がその人の意思や行動の決定過程にどのように関わるかを評価することはできないとする立場です。
- 判断手法
- 不可知論的立場の責任能力判断手法は、精神医学的診断(疾病診断)を下した時点で判断を停止し、あとは、あらかじめ精神医学者と司法関係者との間で、診断と責任能力との間に一対一対応で決めた「慣例」に基づいて責任能力の結論を導くものなどとされています。
- たとえば、統合失調症や内因性のうつ病などの内因性の精神病疾患であれば心神喪失、心因性の抑うつ病であれば完全責任能力、パーソナリティ障害であれば完全責任能力など、診断名から責任能力を判断する「慣例」を重視する考え方とされます。
- 内因性の精神病とは、心因も認められず、外的器質的疾患も認められず、素質的に発生するとされる精神病とされています。
イ 可知論(かちろん)
- 可知論とは、精神障害がその人の意思や行動の決定過程にどのように関わるかを評価することができるとする立場です。
- 判断手法
- 可知論的立場の責任能力判断手法は、精神医学的診断(疾病診断)を下し、さらに個々の事例における精神の障害の質や程度を判断し、その精神の障害と行為との関係についての考察に基づいて、責任能力を判断するものです。
ウ 現状|可知論的立場
- 不可知論が診断名に基づいて責任能力の有無を一律に決定しようとするのに対し、可知論は個々の症状の質と行為への具体的な影響(機序)を詳細に評価し、責任能力の有無や程度を判断するという違いがあります。
- 現在、裁判実務の主流となっているのはこの可知論的立場とされています。
- これは、責任能力の判断が法的な非難可能性の有無・程度についての判断であることと整合的な判断手法であるとされています。
- 可知論的立場が有力になった背景
- 可知論的立場が採用されることが増えている背景として、以下の点が挙げられています。
- 臨床において統合失調症などについても、治療法の発展などにより軽症例が増加している。
- 従来の疾病の病因論的な分類(外因性、心因性、内因性)では、明確な境界線を引くことが難しくなっている。
- 生物学的研究や疫学的研究により新たな知見が明らかにされ続けていること。
- 操作的診断基準の汎用が進むことで、従来の慣例の基礎となっていた伝統的診断とは疾病概念が異なってきていること。
- 操作的診断基準が将来変更されていくため、「慣例」の構築が難しいこと。
- 精神障害者のノーマライゼーションや社会復帰の動きに伴い、精神機能をより綿密に多面的に評価するようになっていること。
- 司法の立場からすると、診断名により責任能力の判断がつくとすると生物学的要素が判断に直結し、心理学的要素が意味を失い、判例の枠組みと整合しないという問題もあり得ます。
(3) 判断枠組み|操作的診断
ア 操作的診断の概要と特徴
- 操作的診断
- 操作的診断は、精神医学的診断における枠組みの一つです。
- 精神疾患は原因不明であるため、臨床症状に依存して診断せざるを得ないことから、観察可能な症状に基づき、明確な基準を設けてそれに当てはめて診断を行う方法とされています。
- 伝統的診断との比較
- 伝統的診断は、疾病の本質は何かというところから分類をしようという傾向があり、基本的には精神障害の原因に注目をしているとされます。
- たとえば、脳に器質的な問題が起こっている外因性、ストレスなどの心理的な問題が原因となっている心因性、それらいずれでもなく脳に何らかの異常が生じていると想定される内因性(統合失調症や躁うつ病など)とに大きく三分類するところに基軸があるとされます。
- 現在は、操作的診断が主流とされています。
- 操作的診断の基準
- 操作的診断の基準には、ICD(国際疾病分類)やDSM(精神障害の診断と統計マニュアル)などがあります。
- 目的
- 精神科医は、学校等における指導要録、拘置所内動静記録、精神医学的面接、心理検査、身体検査といった多様な情報を収集し、精神症状を抽出した後、この操作的診断の「診断基準」に当てはめて精神疾患名を推定し、確定するとされます。
- 操作的診断は、医学的妥当性を確認する意味がありますが、診断基準が絶対普遍的な真理ではないことには注意が必要とされています。
イ 刑事責任能力判断への影響
- 操作的診断基準の普及は、刑事責任能力の判断、特に可知論(かちろん)の立場の採用が増える一因となったとされています。
- 慣例(不可知論)の困難さ
- 操作的診断基準の汎用が進むことで、従来の「慣例」(疾病診断と責任能力の結論を一対一対応で結びつける不可知論的立場)の基礎となっていた伝統的診断とは疾病概念が異なってきています。
- 将来的な変更
- 操作的診断基準は将来的に確実に変更されていくものであるため、「慣例」の構築が難しいという問題点もあります。
- 診断名の相対化
- 操作的診断によって、診断名が異なる可能性があることが認識されており、鑑定人は特定の診断基準を用いるか任意に選択できます。
- このため、精神症状が全く同じであれば、診断名が異なっていても責任能力の評価は同じであるべきという考え方と親和性が高いとされています。
ウ 操作的診断における留意点
- 操作的診断基準のような一定の枠組みによる共有が図られているとはいえ、どの診断枠組みを用いるかは任意であり、同じ枠組みを使っていても、個々の精神科医が持つ疾患概念が完全に一致しているわけではないとされます。
- そのため、診断名には「違い」が生じうることもあります。
- 刑事精神鑑定において、鑑定人は、操作的診断基準の「診断基準」を当てはめて診断を特定しますが、その診断が異なる場合は、そもそもどのような病理や前提情報が異なっているのか議論される必要があります。
4 判例の立場|総合判断と専門家意見の尊重
判例は、一貫して混合的方法を採用しつつ、責任能力の有無・程度は、単に精神医学的診断名だけで決まるのではなく、様々な要素を総合して判断すべきとする立場を取っています。
(1) 責任能力の判断は裁判所の専権事項
- 心神喪失または心神耗弱に該当するかどうかは「法律判断であって専ら裁判所に委ねられるべき問題」であるとされています。
- また、その前提となる生物学的要素や心理学的要素についても「究極的には裁判所の評価にゆだねられるべき問題である」とされています。
- 最決昭58.9.13判タ513号168頁
- 「被告人の精神状態が刑法三九条にいう心神喪失又は心神耗弱に該当するかどうかは法律判断であつて専ら裁判所に委ねられるべき問題であることはもとより、その前提となる生物学的、心理学的要素についても、右法律判断との関係で究極的には裁判所の評価に委ねられるべき問題」として、法律判断であることを示しました。
(2) 昭和59年決定と総合判断の確立
- 最三小決昭59.7.3 刑集38巻8号2783頁
- 「被告人が犯行当時精神分裂病に罹患していたからといって、そのことだけで直ちに被告人が心神喪失の状態にあったとされるものではなく、その責任能力の有無・程度は、被告人の犯行当時の病状、犯行前の生活状態、犯行の動機・態様等を総合して判定すべき」と判示し、多角的な事実認定に基づく「総合判定」の枠組みを確立しました
- 可知論の立場に立ったという評価も可能と考えられています。
(3) 専門家意見の尊重|平成20年判決
- 裁判員制度の施行を前に、最二小判平20.4.25 刑集62巻5号1559頁は、鑑定意見の取り扱いについて、重要な指針を示しました。
- 最二小判平20.4.25 刑集62巻5号1559頁
- 「生物学的要素である精神障害の有無及び程度並びにこれが心理学的要素に与えた影響の有無及び程度については、その診断が臨床精神医学の本分であることにかんがみれば、専門家たる精神医学者の意見が鑑定等として証拠となっている場合には、鑑定人の公正さや能力に疑いが生じたり、鑑定の前提条件に問題があったりするなど、これを採用し得ない合理的な事情が認められるのでない限り、裁判所は、その意見を十分に尊重して認定すべき」。
- この判決は、精神障害の有無だけでなく、それが弁識能力や制御能力に与えた影響の程度についても、専門家の意見を尊重すべきことを明確にしました。
- 鑑定を採用しない場合には「これを採用し得ない合理的な事情」を示す必要があると考えられます。
- 例えば、以下のような場合などが指摘されています。
- ① 鑑定人の鑑定能力及び公正さに疑問が生じたとき
- ② 鑑定資料の不備ないし裁判所の認定事実との相違など、鑑定の前提条件に問題があるとき
- ③ 鑑定結果と他の有力な証拠ないし客観的事実とが相條したとき
- ④ 鑑定内容に問題があるとき
- 意見と十分に尊重するべきとされるのは「生物学的要素である精神障害の有無及び程度並びにこれが心理学的要素に与えた影響の有無及び程度」に関する判断にとどまっており、弁識能力・制御能力に関する判断、さらには心神喪失・心神耗弱という結論部分まで及んでいない点には留意が必要と考えられます。
- 弁識能力・制御能力に関する判断については、被告人とされた人の犯行当時の病状、犯行前の精神状態、犯行の動機・態様等を総合して判断することができると理解されています。
(4) 統合失調症事案における判断要素の具体化|平成21年決定
- 最一小決平21.12.8 刑集63巻11号2829頁
- 「特定の精神鑑定の意見の一部を採用した場合においても,責任能力の有無・程度について,当該意見の他の部分に事実上拘束されることなく,…総合して判定することができる」とし、特定の鑑定意見の一部を採用した場合でも、裁判所は他の部分に拘束されず総合判定できることを改めて確認しました。
- 特に統合失調症の事案において、原判決の判断手法を是認する中で、従来の総合判断の要素に加え、「統合失調症による病的体験と犯行との関係」および「被告人の本来の人格傾向と犯行との関連性の程度」を検討すべきという、より具体的な中間的判断要素を提示したとされています。
5 責任能力と刑事弁護の重要性
責任能力が問題となる事件は、精神医学と刑法理論が交錯する極めて複雑な分野です。
裁判所は、最終的な責任能力の有無を判断するにあたり、鑑定人の意見を尊重しつつも、その前提資料や推論過程に疑問がある場合は、鑑定を採用せずに独自の総合判断を行うことができます。
捜査機関や裁判所が実施した鑑定に疑義がある場合には、反対尋問等で鑑定の問題点を指摘する必要が出てきます。
また、弁護人側で私的鑑定を行う場面も生じ得ます。
弁護人には、裁判所の判断構造に対する理解や、精神医学の基本的な知識は不可欠です。
責任能力が問題となり得る事案がありましたら、ぜひご相談ください。





